HERCULES — シアーズが生んだアメリカン・ワークウェアの巨人

1950s HERCULES ブランケットライナー付きデニムジャケット(当店で撮影した個体)。名も残らぬ労働者のための服が、70年を経てこの風合いになった

HERCULES1900s-1950s

HERCULES — シアーズが生んだアメリカン・ワークウェアの巨人

シアーズ・ローバックの自社ブランドとして、20世紀前半のアメリカ労働者を支えた HERCULES。時計売りの駅員が始めた会社が、なぜ全米の農村へ服を届けられたのか — 郵便制度・通販カタログ・巨大倉庫という「仕組み」の側から、その正体をたどります。

By Kei's Vintage

アメリカの肉体労働を着せた巨人

HERCULES(ハーキュリーズ)は、アメリカ最大の通販企業 Sears, Roebuck and Co.(シアーズ・ローバック) の自社ブランドです。商標としては 1908年から1965年頃まで 使われ、ボイラーなど他の商品にも冠されましたが、いちばんよく知られているのは 作業着のライン としての顔です(Sears Archives)。

ラインナップを並べてみると、それだけで当時の仕事場の光景が浮かんできます。

  • カバーオール(オーバーオール / ダンガリー)
  • ワークシャツ
  • ペインターパンツ
  • ヘリンボーンのワークパンツ
  • ブラウンダックのチョアコート
  • ストライプヒッコリーのジャケット

農夫、大工、鉄道員、整備士 ── 名前の知られた「ブランド」ではなく、名前も残らない人たちの毎日を支えるための服でした。だからこそ、残っている一着には、その人の一日が刻まれています。

時計売りの駅員から始まった

意外に思われるかもしれませんが、シアーズは服の会社としてではなく、時計の会社として 始まりました。

1886年、ミネソタ州ノースレッドウッドの鉄道駅。駅員だった Richard Warren Sears(リチャード・W・シアーズ)の手元に、受取人が引き取りを拒んだ金張り時計の荷物が残ります。彼はそれを他の駅員たちに売りさばき、そこで商売の味を覚えました。翌1887年、時計の修理職人 Alvah C. Roebuck(アルヴァ・C・ローバック)を雇い、やがて拠点をシカゴへ。1893年9月16日、社名が Sears, Roebuck and Co. となります(Sears Archives 社史)。

駅員だったという出自は、偶然ではないと思うのです。彼は最初から 「鉄道で物が動く」ということを、体で知っていた人 でした。第1回で触れた大陸横断鉄道の完成から、まだ20年ほど。線路はもう、全米に毛細血管のように伸びていました。

「カタログが届く」という革命

シアーズを理解する鍵は、服そのものより 仕組み のほうにあります。

19世紀末のアメリカの農村では、買い物とは「町の商店へ行くこと」でした。品数は限られ、値段は店主の言い値で、しかも収穫までのツケ(掛け売り)が当たり前。選ぶ自由も、比べる自由も、ほとんどなかった わけです。

そこへ、二つの制度が入ってきます。

  • RFD(Rural Free Delivery / 農村無料配達):1896年10月1日にウェストバージニアの3集落で試験導入され、1902年7月1日に恒久制度化。郵便配達が農家の玄関先まで来るようになった(USPS 公式沿革)
  • Parcel Post(小包郵便):1913年1月1日 開始(当初の重量上限は11ポンド)。それまで高額な民間運送に頼っていた「荷物」が、郵便で安く届くようになった(スミソニアン国立郵便博物館)

この二つが揃った瞬間、分厚いカタログ1冊が、全米の農家の台所に置かれる という状況が生まれます。ページをめくれば、シカゴの倉庫にある何万点もの商品が、定価つきで並んでいる。町の商店の棚より、はるかに広い世界です。

1912年のシアーズ・カタログ No.124、317ページ。鉄道員と機械工に向けた厚手ブルーデニムの上下(ジャケット+ビブオーバーオール)が、上下揃って $1.50。矢印で機能を一つずつ説明する売り方が、通販カタログそのものです(Sears, Roebuck and Co., Catalog No. 124, 1912 /パブリックドメイン)1912年のシアーズ・カタログ No.124、317ページ。鉄道員と機械工に向けた厚手ブルーデニムの上下(ジャケット+ビブオーバーオール)が、上下揃って $1.50。矢印で機能を一つずつ説明する売り方が、通販カタログそのものです(Sears, Roebuck and Co., Catalog No. 124, 1912 /パブリックドメイン)

この1ページを眺めるだけで、通販という商売の作法が分かります。矢印で機能を一つずつ指し示し、寸法と重さと値段を書き、そして「破れたら新品と交換」と言い切る。 実物に触れないまま買う人に、触れた気にさせるための工夫です。ちなみにこのページは HERCULES ではなく "Rip-Proof" という別のハウスブランドで、シアーズは価格帯ごとに複数の名前を使い分けていました。

シアーズは1905年から翌1906年にかけて、シカゴのサウス・ホーマン通り924番地に巨大な通販センターを建てます。当時世界最大の商業建築(延床およそ330万平方フィート)とされ、注文書の処理から梱包・発送までを時刻表のように管理する仕組みが敷かれていました(米国議会図書館 HABS 記録)。フォードの流れ作業より前に、「注文を流す」工場 がここにあった ── そう考えると、少し見方が変わります。

HERCULES とは何だったのか

シアーズは、自社で企画した ハウスブランド を数多く持っていました。工具の Craftsman(1927年商標登録)、家電の Kenmore(1927年、最初は絞り機付き洗濯機)、蓄音機・ラジオの Silvertone(1915〜1972年)、住宅キットの最上級グレード Honor Bilt。そしてワークウェアが HERCULES です。

つまり HERCULES は、いまの感覚で言う「ブランド」ではありません。「シアーズが頑丈さを保証する作業着」というラベル に近い。ギリシャ神話の英雄の名を借りたネーミングも、そのまま「丈夫」の一言を伝えるためのものでした。

通販カタログとハウスブランドHERCULES通販カタログとハウスブランドHERCULES

だから当時のカタログでは、HERCULES は「憧れの服」としては売られていません。必要な人が、必要なサイズを、必要な値段で買う ための実用品。皮肉なことに、その割り切りが、100年後のヴィンテージとしての強さになりました。

定価が印刷されている、ということの重み

ここで少し横道に入ります。カタログという発明は、服の歴史よりもう少し広い話につながっています。

カタログには 定価が印刷されていました。誰が注文しても、同じ商品は同じ値段。当たり前のようですが、店主の裁量で値段が動く世界にいた人にとっては、これは決して小さなことではなかったはずです。

とくに人種隔離(ジム・クロウ)下の南部では、店に足を運ばずに、印刷された値段で買える ことに独自の意味があった ── そう論じる経済史研究があります(諸説あり、評価は分かれます)。地元商店との力関係を通さずに買い物ができる、という一点だけでも、生活の質が変わった人がいたのだろうと想像します。

その裏返しとして、地元の商店主たちは通販を敵視しました。町でカタログを集めて焚き火にした、集めた者に景品を出した ── そんな逸話がいくつも伝えられています(地方新聞記事などに基づく伝聞で、規模の実証は難しいところです)。

1939年7月、ノースカロライナ州ゴードントンの田舎の雑貨店。コカ・コーラやタバコの看板が壁を埋め、店先には灯油とガソリンのポンプ。ポーチに腰かける一人はチェックのビブオーバーオール姿。カタログが届いたのは、こういう町でした(Dorothea Lange 撮影・米国農業安定局 FSA /米国議会図書館所蔵/パブリックドメイン)1939年7月、ノースカロライナ州ゴードントンの田舎の雑貨店。コカ・コーラやタバコの看板が壁を埋め、店先には灯油とガソリンのポンプ。ポーチに腰かける一人はチェックのビブオーバーオール姿。カタログが届いたのは、こういう町でした(Dorothea Lange 撮影・米国農業安定局 FSA /米国議会図書館所蔵/パブリックドメイン)

一着の作業着の背後に、郵便制度と、値付けの自由と、町の商店の反発がある。服は、その時代の仕組みの上に立っている ── HERCULES を眺めていると、そんなことを思います。

HERCULES が残したもの

1900〜30年代のヘラクレス製品には、ブランドを名乗る必要がなかったからこそ、実用一辺倒で作り込まれた という性格があります。

理由は、大きく3つに整理できます。

1. 素材

当時のシアーズは、通販という巨大な販売量を背景に、現代では作りにくいグレードの綿 を仕入れていました。8oz〜11oz のヘビーオンスの綿ダック、しっかりと打ち込まれたヘリンボーン、生成のリネンミックス。原料そのものが、いまの量産品とは別のところにあります。

2. 縫製

シングルステッチ、チェーンステッチ、ユニオンスペシャル製ミシンによるフラットシーマー。すべて当時のスタンダードです。1ヶ所のほつれが全体に伝わらない ように組まれた縫いの順番は、直して着るのが当然だった時代の設計思想でもあります。

3. 経年

ブラウンダック、インディゴ、ヒッコリーストライプ。どれも90年・100年という時間を経ることで、白茶けと擦れ、ヒゲ、そしてダメージがそのまま景色になります。狙って作れないものです。

1950s HERCULES ブランケットライナー付きデニムジャケットの内側(当店で撮影した個体)。ストライプのブランケット裏がそのまま縫い込まれている ── 暖房のない仕事場のための、実用一辺倒の作り1950s HERCULES ブランケットライナー付きデニムジャケットの内側(当店で撮影した個体)。ストライプのブランケット裏がそのまま縫い込まれている ── 暖房のない仕事場のための、実用一辺倒の作り

写真は 1950s の HERCULES ブランケットライナー付きデニムジャケット。冒頭の一着の内側です。

ヴィンテージは「古いから良い」のではなく、「古くなる前提で作られていたから、結果的に良い」。HERCULES はその好例だと思います。

識別ポイント

HERCULES と一口に言っても、年代や工場によって細かなディテールが異なります。あくまで目安として。

  • タグ:タグの素材や意匠は、年代によって変わっていきます
  • リベット:銅リベットの質感と打ち方で年代をある程度推定できる
  • ボタン:ドーナツ型のメタルボタン、後年はプラスチックも混在
  • 生地:ブラウンダックの色味は、年代を経ると赤みが抜けて黄土色へ寄っていくことが多いようです

HERCULES の襟タグ(1950s・当店で撮影した個体)。赤地に白抜きの "HERCULES" ── ハウスブランドながら、タグの意匠は年代でしっかり変わっていくHERCULES の襟タグ(1950s・当店で撮影した個体)。赤地に白抜きの "HERCULES" ── ハウスブランドながら、タグの意匠は年代でしっかり変わっていく

タグに入っている W.P.L. 番号や RN 番号 は、実は法律の産物で、こちらも年代の傍証になります。

静かな退場 — なぜ HERCULES は消えたのか

HERCULES がいつ、どのように終わったのかは、実はすっきり書けません。廃止の宣言が残っているようなブランドではないからです。

ただ、背景として指摘できることはあります。シアーズは1925年から実店舗の展開を本格化させ、戦後は郊外のショッピングセンターが主戦場になっていきます。通販カタログが「唯一の窓」だった時代は終わりました。同時に、アメリカの労働の中身も変わります。農業人口は減り、重工業の現場にも化繊の作業着が入り、「一生ものの綿の作業着」を必要とする人が、静かに減っていった。

HERCULES の商標が使われるのは1965年頃までで、シアーズが97年続いた総合カタログ("Big Book")の廃止を発表するのは1993年1月 ── ブランドはそのはるか前に、役目を終えたようにフェードアウトしています。惜しいとも思いますが、役目が終わったから消えた というのは、道具のブランドとしてむしろ真っ当な終わり方なのかもしれません。

シアーズが絶頂を迎えた大恐慌〜ニューディール期の背景は Vintage History 第2回 で書きました。チャンブレー・ギャバジン・ホースハイド・デニムという素材ごとの見どころ は、それぞれに一癖あって面白いところです。

着るためのヴィンテージとして

HERCULES の魅力は、飾るためではなく、いまも実用品として着られる ことにあります。サイズ感は当時の体型を反映していて大きめのものが多く、結果的に現代のゆったりした着こなしとも噛み合います。

ストライプヒッコリーのカバーオールに白T、501、ワークブーツ。それだけで、20世紀のアメリカと現代の東京が地続きだと分かる。難しい理屈は要りません。

探すときに気にしておくと良いのは、このあたりです。

  • 状態の良い1点ものは、迷ったら早めに。同じ個体は二度と出てきません
  • ダメージはマイナスではなく「履歴」。ただし肩と肘の貫通だけは確認を
  • 残っている個体は、状態もサイズもばらばらです

時代の空気 — カタログという "文化装置"

最後にもうひとつ。シアーズのカタログは、単なる買い物リストではありませんでした。とくにクリスマスのカタログは "Wish Book(願いの本)" と呼ばれ、田舎の家庭が都会の流行や新製品を知る窓であり、時に子どもが字を覚える教材ですらあったと言われます。

分厚い一冊が台所に置かれ、家族が順番にめくる。欲しいものに指をあて、買えないものを眺め、いつか買う日を思う。HERCULES のような服は、その巨大なメディアを通じて、アメリカの生活文化を少しずつ均していきました。

いま私たちがヴィンテージとして手に取る一着は、たぶんその「願いの本」から注文された一着です。そう思うと、袖に残った擦れの意味も、少し変わって見えてくるかもしれません。

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