
1970s・USA製の Lee 101J(当店で撮影した個体)。黒タグに "SANFORIZED" と "UNION MADE IN U.S.A." の表記が残る
LEE 101J / 91-J / Westerner — 西部へ向かったデニムジャケットの系譜
Lee 101J、91-J ストームライダー、そして "Westerner" — カンザスの雑貨商から始まった会社が、なぜ鉄道員とカウボーイの服を作ることになったのか。ジッパー、サンフォライズド、そして一体の人形。リーバイスとは違う道筋をたどった系譜を、年代の見分け方と一緒に整理します。
雑貨商から始まった会社
Lee は1889年、カンザス州サライナで Henry David Lee(ヘンリー・デヴィッド・リー)が創業した「H.D. Lee Mercantile Company」を起点とします。最初は服の会社ではありません。食料品や日用品を扱う卸商 でした。
転機は1911年。H.D. Lee は、この年から翌年にかけて自社で衣料品の製造に乗り出します。きっかけとして語られているのは、実に散文的な理由です ── 仕入れ先からの作業着の納品が、当てにならなかった。売る商品が予定どおり届かないなら、自分で作ればいい。そういう判断だったと伝えられています(社史事典 International Directory of Company Histories ほか)。
「困ったから作った」 という動機は、この後のリーの発明のしかたにも、ずっと通じているように見えるのです。
ユニオン・オールズ — 上下つなぎという発明
製造を始めたリーが、1913年に出したのが 「ユニオン・オールズ(Union-All)」。上下がつながった、いまで言うオーバーオール/カバーオール型のワンピース作業着です。
これが評価されたのは、機械整備の現場でした。上着とズボンの境目が無ければ、腰から服がめくれて機械に触れることがない。合理的です。そして第一次世界大戦期には、アメリカ軍が兵士の作業被服(ファティーグ)として正式に発注 しました(Lee 公式・企業史記録)。一介の卸商が始めた自社製造が、6年目で軍の制式品になったわけです。
100年後のいまも、リーのオーバーオールはこの原型の延長線上にあります。
バディ・リー — 人形が服を売った時代
ここで少し横道へ。リーの歴史を語るとき、避けて通りたくないのが バディ・リー(Buddy Lee) です。
1920年頃に登場した、身長30cmほどの 店頭ディスプレイ用の人形。ミニチュアのユニオン・オールズやカウボーイパンツを着せて、金物屋や衣料品店のショーケースに立たせました。テレビも無い時代、「実物をそのまま小さくして見せる」 のがいちばん伝わる広告だったわけです。
バディ・リーは 1962年、採算が合わないという理由で姿を消します。ところが話はそこで終わりません。1998年、リーは "Lee Dungarees" のテレビ広告のマスコットとしてバディ・リーを復活させ、一気に再ブレイクさせました。
よく「日本のコレクター人気が復活を後押しした」と語られますが、そこを裏づける一次資料は私の調べた範囲では見つかりませんでした(広告代理店主導のキャンペーンだったという記録が残ります)。ただ、1990年代の古着の流れに日本が大きく関わっていたのは事実 です。人形をめぐるこの曖昧さも含めて、伝聞と記録を分けて書いておきたいところです。
1940年6月、ニューメキシコ州ケマドのロデオ。投げ縄を手に、囲いのそばに立つカウボーイ(Russell Lee 撮影・FSA /米国議会図書館所蔵/パブリックドメイン)
ジッパーを最初に入れたのは、リーだった
1926年(1927年とする資料もあります)、リーは 最初期のジッパーフライのジーンズ を売り出します(「世界初」は、リー自身の言い分です)。のちに101のジッパー版として定着する品番が 101Z です(101Zという品番での展開は1940年代後期からとする資料もあります)。使われたのは フックレス・ファスナー社 の「フックレス・ファスナー」── 同社が TALON に改称するのは1937年ですから、まだ「ジッパー」という言葉すら定着していない時代です。ボタンフライが当たり前だった作業着に、金属のスライダーを持ち込んだ わけです。
ちなみに、しばしば混同されますが 「Whizit(ウィジット)」はファスナーメーカーの名前ではありません。1927年にリーが消費者から名前を募って決めた リー自身の商標 で、ジッパー前開きのユニオン・オールズやカバーオール、子ども用プレイスーツなどに使われました。
いま考えると当然の改良のようですが、当時は決して安全な賭けではなかったはずです。壊れたら直せない、砂や泥で噛む、値段が上がる ── 現場の道具に新機構を入れるのは、それなりの度量が要ります。
ジーンズ側の系譜(Riders 101 と 101Z) はそれ自体が一本の話になるので、ここでは深追いしません。品番の末尾の Z が、そのままジッパーの Z だというのは、知ると忘れられない小ネタです。
サンフォライズドという、地味な革命
もうひとつ、リーを語るうえで外せないのが サンフォライズド(Sanforized) です。
綿は、洗うと縮みます。だから昔のジーンズは「縮む前提で大きめを買い、洗って自分の体に合わせる」ものでした。ロマンチックに聞こえますが、実際にはサイズが読めず、失敗も多い 面倒な話です。
1928年、Sanford L. Cluett(クルーエット・ピーボディ社)が、生地をあらかじめ機械的に収縮させておく加工を実用化します。彼の名から 「Sanforized」 と名付けられた商標で、残留収縮率1%以下 を保証するものでした(Cluett, Peabody & Co. 商標記録)。
リーのタグには、1930〜40年代から "Sanforized" の文字が載るようになります。
Lee 101-J の黒タグ(1970s・当店で撮影した個体)。"SANFORIZED" の文字、品番 101-J、"UNION MADE IN U.S.A." までが1枚に収まる ── タグは読むもの、という良い実例
*写真は 1970s の Lee 101J。冒頭の一着と同じ個体です。*一方リーバイスの501は、長く シュリンク・トゥ・フィット(縮んで体に合う) を貫き、先縮み加工のモデルが本格化するのは1960年代です。
この違いは、いまも意味を持ちます。Sanforized の表記は1970年代まで長く続くので単独では年代を絞れませんが、ほかのタグ表記と合わせて読めば傍証になる からです。そして「縮む服を売るか、縮まない服を売るか」という選択は、その会社が顧客をどう見ていたか の表明でもあります。リーは、たぶん「面倒は減らしたほうがいい」と考える会社でした。
タグには他にも W.P.L. や RN といった番号 が入っていて、こちらも年代の傍証になります。
デニムジャケットの系譜
リーのデニムジャケットの歴史は、大きく3つの系統で整理できます。
1. 101J — クラシック・ジーンジャケット
カウボーイ向けのデニムジャケットとして1930年代の初めに登場(1931年とも1934年ともいわれます)。系譜としては、1920年代半ばに出た「カウボーイパンツ」(101)と対になる上着です。しっかりした打ち込みのデニム、左胸に1ポケット。Levi's の Type II / Type III と並ぶ、アメリカンデニムジャケットの代表格です。
- 品番 101-J がタグに刷られるのは 1950年代から。それ以前のタグには品番が入っていません
- 年代は、タグの表記・ボタン・ステッチを重ねて読みます(下の表)
初期は 「カウボーイ」 の名で売られ、1930年代半ばからは RIDERS(ライダース) の名が使われるようになります(ジャケットが今の形に固まるのは、1940年代の終わりです)。「カウボーイ」から「ライダース」へ ── 名前の変化そのものが、西部が現実の職業から憧れの記号に変わっていく過程を映しているようで、なかなか味わい深いところです。
2. 91-J / Storm Rider — ブランケット裏のヘビーデューティ
ここは年代が入り組んでいるので、丁寧に整理します。
91-J は、1925年に出たとされるリー最初期のデニムジャケット です(機関士向けという含みで「ロコ(Loco)」の愛称で呼ばれます)。一方、いま私たちが ストームライダー と呼んでいる ブランケット裏のジャケットは、101J(カウボーイ/ライダース)系の派生 で、コーデュロイ襟+サドルブランケット裏の 101-LJ が1949年。そして "Storm Rider" という名称が商標として使われ始めるのは1953年11月 です(リー自身の広告表現では、裏地付きの登場を1933年としているものもあり、諸説あります)。
つまり「91-J=ストームライダー」と一括りにされがちですが、厳密には別の流れが後で合流した と考えるのが正確なようです。ヴィンテージの通称は、こういう合流や取り違えを抱えたまま定着しているものが少なくありません。
裏地にブランケットを縫うというのは、発想としてはとても素朴です。でも、素朴な解決策ほど長生きする。この構造が70年以上そのまま現役なのは、そういうことだと思います。
1960〜70年代を通じて、長く作り続けられました。
3. Westerner — 西部へ向かう細身のシルエット
1950年代の終わりに出た 100-J "Westerner"(ウエスタナー) は、ライダー・ジャケットを 白(生成り)の綿ツイルで仕立てた「よそ行き版」 です。型は仕事着のまま、生地だけがきれいになる ── 町や学校へ着ていける西部の服でした。実用から様式へ。服の歴史では、何度も繰り返される流れです。
Leeの代表モデル系譜 91-J / 101 / Westerner
ロデオという舞台
リーの西部路線を支えた舞台は、ロデオ でした。リーの服はロデオの選手にも着られ、競技場はそのまま巨大な広告板になりました。
1940年10月、ニューメキシコ州パイタウンの品評会ロデオ。デニムのジャケットとジーンズ姿の牧場主たちが、ロープ競技用の仔牛を囲いへ追い込む(Russell Lee 撮影・FSA /コダクローム/米国議会図書館所蔵/パブリックドメイン)
考えてみると、当時のロデオは「働く技術を見せる興行」でした。牛を追う腕前が、そのまま見世物になる。労働がエンターテインメントに変換される場所 で、作業着が「格好いい服」に変わっていった ── その現場に、リーの服はいました。
ロデオと西部神話の話は、Vintage History 第7回 でラングラーとあわせて扱っています。
年代を読むためのディテール
| 年代 | タグの目安 |
|---|---|
| 1940s | 赤タグ・Union Made/Sanforized・品番の記載なし |
| 1950s | 品番(101-J など)が入る |
| 1960s | 黒タグ・®マーク・MADE IN U.S.A. |
| 1970s | M.R. の表記が加わる(Union Made in U.S.A. は70年代前半ごろまで) |
これはあくまで、専門店の解説と店で見てきた個体に基づく目安で、工場ごとの例外も多いです。最終的には複数の指標を見て、総合で判断します。「一発で分かる決定打」を探すより、弱い手がかりを重ねる ほうが、結果的に外しません。
なぜ Lee は Levi's と違うのか
Levi's が 金鉱と建設労働 のジーンズだとすれば、Lee は 鉄道と農場 のジーンズです。出発点の土地が違い、届けた相手が違う。Levi's のシルエットが力強く、Lee は腰位置が比較的高くストレートで硬派に見えるのも、その延長にあります。
同じインディゴでも、Lee は青の中に "黒さ" が残り、Levi's は "赤" が残る。
これは私の体感で、染めや紡績の癖の差だと言われています(諸説あり、個体差も大きいです)。ただ、何着も見ていると本当に一目で分かるようになるので、機会があれば並べて眺めてみてください。言葉より、目のほうが先に覚えます。
1969年、リーとラングラーが親戚になった
最後に、企業史の話をひとつ。
1969年、下着メーカーの Vanity Fair Mills が H.D. Lee Company を買収し、社名を VF Corporation へ改めます。 そしてその後、1986年に VF はラングラーの親会社 Blue Bell を約7.6億ドルで買収 しました(VF Corporation 公式沿革)。つまり、Lee と Wrangler が同じ企業グループの兄弟になった時期がある わけです。
現場で競い合っていた2つのブランドが、資本の上では同じ屋根の下にいた。ヴィンテージを追っていると、こういう「服の背後の会社の話」に何度も出会います。服の系譜は、企業の系譜と切り離せません。
一着の選び方
- 101J:デニムジャケット入門に。50〜70年代の状態良好なものが扱いやすい
- 91-J / Storm Rider:冬の主力。襟のコーデュロイとブランケットの状態は必ず確認
- Westerner:シャープに着たい方に。もともと細身の作りなので、ふだんの古着選び以上に実寸の確認(できれば試着)を
鉄道・西部開拓とワークウェアの起源は Vintage History 第1回 で書きました。ジッパー先駆の続きは、ジーンズ側の系譜(Riders 101 と 101Z) につながっていきます。
時代の空気 — 西部劇とロカビリーの時代
リーが "カウボーイ" から "ライダース" へと名を変えた頃、アメリカは西部劇とロデオ、そしてロカビリーに沸いていました。ジェームズ・ディーンがリーの101を愛用したとも語られ(真偽には諸説あります)、ワークウェアだったデニムは、映画と音楽を通じて憧れの記号になっていきます。
雑貨商が「納品が来ないから自分で作った」服が、半世紀後には若者が憧れて着る服になっていた。服の意味は、作った人の意図を平気で追い越していく ── リーの歴史は、そのことをとても素直に教えてくれます。
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