スウェットシャツの一世紀 — Russell の発明と、Champion の「編み地を横に使う」発想

リングでスパーリングするジャック・デンプシー(左)。スウェットシャツが広まる前のボクシングの練習風景(Bain News Service/米国議会図書館所蔵 LC-DIG-ggbain-50497・「No known restrictions on publication」表示)

1902-1990s

スウェットシャツの一世紀 — Russell の発明と、Champion の「編み地を横に使う」発想

スウェットシャツの始まりは、チクチクするウールの練習着の代わりに綿を、という社長の息子の思いつきだった ── と Russell は伝えています。その試作から、Champion のリバースウィーブ特許、カレッジプリント、そして90年代の古着ブームまで。「体育の服」が街に出るまでの一世紀を追います。

By Kei's Vintage
この記事の動画版です。古着屋の目で、当時の実写映像とともにたどります。

グレーのスウェットほど「当たり前」になった服はありません。当たり前すぎて、これが 誰かの発明品 だということを忘れてしまう。でもスウェットシャツには、作った会社が伝える始まりの話があります。舞台はアラバマ州のニット工場、言い出したのは社長の息子でした。

1926年 — チクチクが嫌だった社長の息子

Russell Manufacturing Company は、1902年、アラバマ州アレクサンダー・シティ で Benjamin Russell が興した、婦人肌着を編むニット工場です。転機は、会社の説明では1926年。社長の息子の Benjamin Russell Jr. が、当時のフットボールの練習着 ── チクチクして肌にすれる厚手のウールジャージ ── にうんざりして、父に持ちかけます。「綿で練習着を作れないか」。

親子は厚手のコットン編み地の練習着を試作した。これが スウェットシャツの原型 とされています ── ここまでが、Russell の伝える始まりの話です。量産が始まるのは1930年頃。試作の年を1920年とする記事もあり、アラバマ州の百科事典は、運動着の事業を1932年に息子が興したサザン・マニュファクチャリング社から書き起こしています。いずれの説でも、生まれは練習着 ── かっこよさは、あとから付いてきました。

スウェットの正式名称が sweat(汗)shirt であることが示すとおり、これは「汗をかくための服」でした。街着になるのは、ずっと後の話です。

1919年、ロチェスター — もうひとつの主役

もうひとつの主役が、ニューヨーク州ロチェスターで 1919年 に生まれた Knickerbocker Knitting Mills ── のちの Champion です。ファインブルーム家が興したこの編物会社は、ミシガン大学を皮切りに、各地の大学や体育の授業へ運動着を納める商売で伸びていきました。

Champion の名を決定的にしたのが、リバースウィーブ(Reverse Weave) です。

リバースウィーブ — 「洗うと縮む」への回答

当時のコーチたちには、共通の悩みがありました。ユニフォームは洗うたびに縮む。 特に編み物は、編みの方向(縦)に大きく縮みます。着丈がどんどん短くなっていくわけです。

Champion の回答は、拍子抜けするほどシンプルでした。縦に縮むなら、編み地を90度回して、横に使えばいい。

リバースウィーブの原理。通常は縦に使う編み地を90度回して横に使うことで、洗濯の縮みが着丈ではなく横方向に逃げる。脇の切替(サイドガゼット)は、洗濯で身幅が縮むのを打ち消すための部品(Kei's Vintage 独自作成の概略図)リバースウィーブの原理。通常は縦に使う編み地を90度回して横に使うことで、洗濯の縮みが着丈ではなく横方向に逃げる。脇の切替(サイドガゼット)は、洗濯で身幅が縮むのを打ち消すための部品(Kei's Vintage 独自作成の概略図)

この方式は 1938年に特許が成立しています(同年1月出願。発明者は社の営業担当サミュエル・フリードランド)。特許の名称は「Athletic Shirt and Method of Making the Same」── 運動シャツとその製法。1952年には、脇の部品を加えた改良版の特許(「Athletic Garment or the Like」── 運動着とその類)も成立しました。

ここで面白いのは、リバースウィーブの見た目の代名詞である 脇の切替(サイドガゼット) の正体です。あれは飾りではありません。編み地を横に使うと、今度は 洗うたびに身幅が縮む。それを打ち消すために、縦向きのリブを脇に足した ── 1952年の特許にそう書かれています。縦の縮みを止めたら横が縮み、それを止めた部品が意匠になった ── 発明の「つじつま合わせ」がそのままデザインになった のです。ヴィンテージのディテールにはこういう「理由の跡」がよくあります(大戦モデルのドーナツボタン と同じ構造の話です)。

首元の「V」— 飾りではなく部品

古いスウェットの首元にある V字の切替(ガゼット) も、理由のあるパーツです。

スウェットの首元のVガゼット。両V(前後)と前V(単V)の違いと、汗止め・型崩れ防止という役割(Kei's Vintage 独自作成)スウェットの首元のVガゼット。両V(前後)と前V(単V)の違いと、汗止め・型崩れ防止という役割(Kei's Vintage 独自作成)

  • 汗止め:リブ編みのV部分が首から落ちる汗を受ける
  • 型崩れ防止:かぶって着るときに首まわりが伸びて波打つのを抑える(Russell の説明では、役割はこの2つです)

両V(前後)・単V(前だけ)という形の違いはありますが、1つのディテールで年代を断定せず、タグ・リブ・縫製と重ねて読むのが安全です(タグの W.P.L./RN 番号 からも年代の傍証が取れます)。

カレッジプリント — 大学がスウェットを「街」に出した

スウェットが体育館の外へ出た最初の経路は、大学の売店 でした。校名を胸にプリントしたスウェットを学生が普段着として着る。卒業生が着続ける。家族に買って帰る ── Champion が大学売店への納入で伸びた会社だったことが、ここで効いてきます。

古いカレッジプリントに多い 染み込みプリント(インクが生地に染み込み、風合いが残る技法)は、洗いを重ねるとプリントごと味になっていきます。文字が消えかけたカレッジスウェット が古着市場で愛されるのは、大学の4年間どころか、その後の何十年も一緒に洗われてきた証拠だからです。

タグで読む Champion — 通称と目安

Champion の年代判定では、タグの意匠を通称で呼ぶ文化があります。ランタグ(走者のロゴ)、バータグ、トリコタグ(三色)── おおまかには、ランタグがもっとも古く、バータグがおおむね1970年代前後、トリコタグが1980〜90年代、という順で語られます。

ただし、この分類は 市場の通説が中心 で、細部の線引きは資料によりかなり揺れます。当店でも、タグ単独ではなく リブの高さ・Vの有無・脇の切替・生産国表記 を重ねて見るようにしています。断定できる話とできない話を分けておくのが、この領域との正しい付き合い方だと思います。

90年代 — グレーのスウェットが「主役」になる

映画『ロッキー』(1976年)のグレースウェットのように、スウェットは20世紀後半を通じて「がんばる人の服」として刷り込まれていきました。そして90年代、日本の古着ブームが リバースウィーブの太いシルエットと色褪せたカレッジプリント を「主役の服」に格上げします。アメリカの体育館の備品だった服が、太平洋を渡って文化になる ── Vintage History 第10回 で書いた流れの、いちばん分かりやすい実例です。

おわりに

チクチクが嫌で生まれ、縮むのが嫌で編み地を横にし、そのつじつま合わせが意匠になった。スウェットシャツの一世紀は、不満と工夫の積み重ねがそのまま形に残った歴史 です。首元のVと脇の切替は、その工夫の「化石」。次にスウェットを手に取るときは、まず首と脇を見てみてください。

参考文献

この記事は、まだ途中です

店主がいま確認できる範囲で書いています。実物を手に取るたびに「あれ、話が違うぞ」と気づくことがあって、そのたび書き直しています。間違いは、まだ残っているはずです。

下のコメント欄には写真も貼れます。訂正でも、質問でも、雑談でも。

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