
1943年、大西洋の船団護衛。駆逐艦の見張り台で双眼鏡を覗く乗組員 ── 潮風の甲板で、厚いウールが日常着だった(米海軍公式写真 80-G-33260・米国国立公文書館所蔵/パブリックドメイン)
CPO シャツの系譜 — 米海軍からシアーズまで、ウールメルトンの "羽織"
CPO = Chief Petty Officer(米海軍上等兵曹)が寒い日の作業で着た、ウールメルトンのオーバーシャツ(のちに水兵にも広く支給)。戦後はシアーズ・ペンドルトン・LL Bean が民生品化し、いまもアメリカン・ヘリテージの定番です。海軍支給品からヴィンテージ・シアーズ CPO までの歴史を整理します。
CPO とは何の略か
CPO は Chief Petty Officer(チーフ・ペティ・オフィサー)の略。米海軍の上等兵曹 という階級を指します。1958年に上の階級(E-8・E-9)ができるまでは下士官の最上位 ── 士官には届かないが、艦内で実務を取り仕切る "現場のリーダー" の階級です。
CPO シャツとは、もともと 上等兵曹が寒い日の作業で着た、厚いウールメルトンのオーバーシャツ のこと。のちには水兵にも広く支給され、第二次世界大戦中から戦後にかけて、米海軍の艦上勤務の 冬の定番 になりました。
CPO シャツは "シャツ" を名乗りながら、構造はジャケットに近い。ウール100%、ポケットフラップ付き、襟元にボタン留め ── これが艦上で寒風から体を守った。
海軍支給品としての CPO シャツ
戦時下から戦後にかけて、米海軍は次のような仕様で CPO シャツを支給しました。
- 素材:ウールメルトン100%(後に混紡も)
- 色:ネイビー(深紺)が基本
- 構造:オープンフロント、ボタンクロージャー
- ポケット:胸に1〜2つ、フラップ付き(時期によって違います)
- 襟:折り返し襟、第一ボタン留め可能
- 着丈:腰位置のやや上
- 裏地:原則なし、ウール片面起毛
これらは 「シャツのような形状で、ジャケットのような保温力を持つ羽織」 という独自の位置付けでした。アウターほど厚くなく、シャツほど薄くない ── 艦上勤務の 「ジャケットを脱いだ後の中間着」 として完璧に機能したのです。
海軍支給 CPO の識別
ヴィンテージ市場で「米海軍支給の CPO シャツ」とされるものは、次の特徴を持ちます。
- 内側に "U.S.N." スタンプ または刺繍
- コントラクトタグ(製造業者・契約年・サイズ)
- 黒のプラスチック軍用ボタン(時にウォーターバッファロー)
- ウールの目が緻密で重い
これらが揃っていれば、戦後初期(1940s〜1950s)の海軍支給品 と考えられます。
戦後の民生品化 — シアーズが量産
戦後、払い下げ品が army-navy の店に流れて出回るうちに、CPO シャツは民間に広がっていったとされます。第二次大戦・朝鮮戦争の帰還兵が支給品を私服として着ていた ことも手伝って、民間メーカーが似たシャツを作るようになりました。
その中心が Sears, Roebuck and Co.(シアーズ) でした。
シアーズは1950〜70年代にかけて、自社のカタログと店で 民生版の CPO シャツ を大量に展開しました。
- 素材:ウールメルトン(純ウール、または混紡)
- 色:ネイビー、ブラック、グレー、レッド・ブラック チェック
- フィッティング:海軍支給品よりルーズ
- 価格:当時の労働者でも買える価格帯
- 流通:シアーズ・カタログ、店舗
シアーズの CPO シャツは、海軍支給品の "民間版" であり、その後アメリカ全土の労働者・狩猟家・木こりが着る "冬の羽織" として定着した。
1970s Sears の CPO シャツ(当店で撮影した個体)。チェック柄の民生CPO ── フラップ付きの胸ポケットに、支給品譲りの面影が残る
ペンドルトンと LL Bean — 高級民生 CPO
民生 CPO のなかで、独自の路線を取ったのが ペンドルトン(Pendleton)と LL Bean でした。
Pendleton CPO
オレゴンのウールミル Pendleton が独自に展開した CPO シャツ。ピース染めのウール、シングルナップ など、Pendleton らしい仕上げが特徴。
- ウール:100%、シングルナップ
- 色:ネイビー、グリーン、レッド、ブラックウォッチ等
- ボタン:プラスチック・貝・木製
- タグ:年代によって表記が変わります
LL Bean CPO
メイン州の LL Bean が展開した、狩猟・釣り・キャンプ向け の CPO。
- ウール:100%、密な織り
- 色:レッド・ブラック チェック(バッファローチェック)が定番
- ボタン:プラスチック
- タグ:LL Bean
自社の毛織工場で糸から織り上げる Pendleton と、狩猟・釣りの道具店として育った L.L.Bean ── どちらの CPO も、支給品とは別の系譜として作られたものです。
CPO シャツの主要色とパターン
店で見てきた個体からの目安です。例外も多くあります。
| 色 / パターン | 主な出元 |
|---|---|
| ネイビー無地 | 海軍支給品、シアーズ |
| ブラック無地 | シアーズ、ペンドルトン |
| レッド・ブラック チェック | LL Bean、ペンドルトン |
| ブラックウォッチ(緑×紺) | ペンドルトン |
| グレー無地 | シアーズ |
| グリーン無地 | ハンティング・シアーズ |
横道:甲板で働く人の服
CPO シャツを理解するには、海軍の作業着がどういうものだったか を見ておくと早いです。
1943年11月、空母レキシントン(CV-16)の飛行甲板。ダンガリー姿の甲板員たちが、パンクしたF6Fヘルキャットを引いて次の着艦に備える(Edward Steichen 撮影・米海軍/米国国立公文書館 NARA /パブリックドメイン)
甲板の上は、風と潮と油と騒音 の世界です。しかも作業は屋外で、夜も続きます。ここで求められたのは、動きを妨げず、着脱が早く、そして寒さをしのげる服 ── 分厚いウールのシャツを一枚羽織る、という解決は、極めて理にかなっていたわけです。
もうひとつ押さえておきたいのは、海軍では立場によって被服の扱いが違った ことです。下士官以上は制服の一部を自分で買いそろえる立場にあり、そこには 既製品の市場が成り立つ余地 がありました。官給品と私物購入品が混在する ── CPO シャツの個体差の大きさは、この構造から来ている面もあります(詳細は個体・年代で異なり、断定は避けます)。
横道:払い下げ品が、私服の歴史を変えた
戦後、大量に余った軍の被服は サープラス(払い下げ品) として民間市場に流れ出します。アメリカでは army surplus store が街に並び、日本では上野のアメヤ横丁がその受け皿になりました(第10回で触れた話です)。
ここが、服の歴史として決定的でした。軍服を軍人ではない人が私服として着ること自体は、第一次大戦後の放出品のころからありましたが、第二次大戦後は、放出された量が桁違いでした。軍服を私服として着ることが、ここで一気に当たり前になります。
- 安い:新品同様のものが、驚くほど安価に手に入った
- 丈夫:民間服より明らかに長持ちした
- そして、意味が乗った:第4回で見たとおり、やがて軍服は反戦の意思表示にも使われていく
CPO シャツが「海軍の作業着」から「誰でも着る冬のシャツ」になったのは、この払い下げという流通があってこそ。服の意味は、作った人ではなく、流通が変えてしまう ことがある ── その好例だと思います。同じCPOでも官給品と民生品でタグ表記が異なるのは、この経路の分かれ道の痕跡です。
CPOシャツ 官給品から民生品へ
冷戦期の軍モノが街に降りてくる時代背景は、Vintage History 第4回 でも書いています。A-2 から M-65 までの米軍ジャケットの系譜 にもつながる話です。
識別と年代判定
こちらも、店で見てきた個体からの目安です。例外も多くあります。
| 要素 | 1940s 海軍 | 1950s〜60s シアーズ | 1970s〜80s |
|---|---|---|---|
| ウール | 重い、密 | やや軽い、混紡開始 | 混紡主流 |
| ボタン | 黒プラ・水牛 | プラスチック | プラスチック |
| ポケット | フラップ付き2 | フラップ付き2 | フラップ付き2 |
| タグ | コントラクトタグ | シアーズタグ | シアーズタグ |
| 内側 | U.S.N. スタンプ | なし | なし |
合わせ方の例(あくまで参考、自由に)
CPO シャツの良さは、シャツとしてもジャケットとしても着られる という汎用性です。
- 白T + CPO + 501 + ワークブーツ:王道アメリカン
- ボタンダウンシャツ + CPO + チノ + ローファー:トラッド
- タートルネック + CPO + ヘリンボーンパンツ:60sフォーク
- デニムシャツ + CPO + ペインターパンツ:ヴィンテージ重ね
CPO シャツは、コートを着るほど寒くないが、シャツでは寒い ── そんな日本の春秋に完璧。海軍が艦上で考えた中間着が、東京の街でも機能する。
着るための注意
- 虫食い:ウール最大の敵。しまう前の手順は ウールの虫食い対策の記事 にまとめています
- シミ:ドライクリーニング推奨
- 縮み:水洗い厳禁
- シーズン:春・秋・初冬の主役
- 保管:ハンガー吊り、密閉NG、防虫
CPO シャツという選択
CPO シャツは、1着あれば春・秋・初冬の3シーズンを羽織1枚で乗り切れる という実用性に加えて、海軍支給品由来の "機能としての美しさ" を持つ衣類です。アロハやバーシティのような華やかさはないが、実直で、長年着られる、年齢を選ばない。
海軍が艦上の中間着として作った CPO シャツが、いまでも東京の春秋のジャケットに代わる。これがヴィンテージの実用性。
この記事は、まだ途中です
店主がいま確認できる範囲で書いています。実物を手に取るたびに「あれ、話が違うぞ」と気づくことがあって、そのたび書き直しています。間違いは、まだ残っているはずです。
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