
1904年版『イン・ザ・メイン・ウッズ』の表紙。バンゴー・アンド・アルーストゥック鉄道が毎年出していた狩りと休暇の案内書で、ビーンが商売を始める前のメインの森の空気を伝える(1904年公刊/archive.org 所蔵スキャン/パブリックドメイン)
創業者伝 第11回:L.L.ビーン — 濡れた靴下と、90足の返品から始まった会社
ビーンブーツで知られるL.L.ビーンは、12歳で両親を亡くし、叔父の農場で働きながら学んだ人です。40歳を前に、狩りで濡れた足にうんざりして、店のゴム靴に町の靴直しが革の上部を縫い付けた ── そこから「最初の100足のうち90足が返品」と会社が伝える出発、全額返金、作り直し。「店の鍵は捨てた」と言って24時間店を開け、94歳で死の直前までカタログの校正刷りを見ていた商人の一生です。
ゴムの靴底に、革の編み上げの上部 ── ビーンブーツは、100年あまり前の形のまま、いまも古着と現行品の両方で定番です。帆布のボート・アンド・トートも同じ。作っているのはメイン州の L.L.Bean です(CPOシャツの記事 にも、狩りと釣りの道具店として育った名前が出てきました)。創業者伝の第11回は、その レオン・レオンウッド・ビーン の一生です。メインの森で足を濡らした狩人が、濡れない靴を作って、アメリカ有数の通販会社を育てるまで。
12歳の孤児
ビーンは 1872年10月13日、メイン州グリーンウッド に生まれました。父は農夫で馬の商いもした人、6人きょうだいの家です。その暮らしは 1884年、12歳のときに裏返ります。両親が、4日違いで相次いで亡くなった のです。きょうだいはサウス・パリスの親類に引き取られ、レオンは叔父の農場で働きながら、冬だけヘブロン・アカデミーに通いました。19歳のときには、石けんを売って学費を作り、ケンツヒル校で1年だけ商業を学んでいます。
クリーム工場、洋服店の店員 ── 職を変えながら、1898年に結婚し、妻バーサの故郷 フリーポート へ。兄オソの洋品店で働き始めました。自分の洋服店を試みて、一度は失敗しています。
1912年 — 濡れた靴下と、町の靴直し
転機は、狩りでした。メインの森を歩けば、革のブーツは水がしみ、ゴム長は蒸れて重い。40歳を前にしたビーンは、濡れた足にうんざりして、両方の「いいとこ取り」を思いつきます。のちに自伝(1960年)でこう書いています ──
店の棚からゴム靴を1足取って、靴屋にサイズ7の革の上部を切ってもらった。縫い合わせたのは、町の靴直しだ。
1912年ごろの靴直しの作業台の想像図。ゴム靴に革の上部を縫い付ける(AI生成イメージ・銅版画調)
ゴムの靴底に、革の編み上げの上部。 ビーンはこれを「メイン・ハンティング・シュー」と名付け、1912年、兄オソの洋品店の地下 で商売を始めました。売り方にも工夫がありました ── メイン州の狩猟免許を持つ州外在住者の名簿 を手に入れ、3ページのチラシを郵送したのです。文面はこうでした。
足の身なりが整っていなければ、鹿もムースも仕留められません。メイン・ハンティング・シューは、メインの森を18年歩いてきた狩人が設計した靴です。あらゆる点で、完全な満足を保証します。
なぜ90足も、返品されたのか?
その「保証」が、いきなり試されます。最初の100足のうち、90足が返品されてきた ── と、会社の公式の説明は伝えています。原因は、1列だけの縫い目がゴムを裂き、革の上部と底が離れたこと。ビーンは 全額を返金し、お金を借りて、より丈夫なゴムと3列の縫い目で作り直しました。
折よく1913年1月、アメリカの郵便が小包郵便(パーセル・ポスト)を始めます。田舎の工房から全国の狩人へ、靴が直接届く時代が来ました(この通販の仕組みが暮らしを変えていく話は、大恐慌の時代の記事 で書いたとおりです)。1917年には、フリーポートの本通りに店を構えます。
横道: 8年前の雑誌に、そっくりの靴があった
1904年版『イン・ザ・メイン・ウッズ』に載った「バーカー・ハンティング・シュー」の広告。ゴム底に編み上げの上部、4ドル(1904年公刊/archive.org 所蔵スキャン/パブリックドメイン)
ゴム底に革の上部という作りそのものは、ビーンの発明ではありません。 ビーンが売り出す8年前、1904年の雑誌『イン・ザ・メイン・ウッズ』には、ボストンのウィリアム・E・バーカーによる「バーカー・ハンティング・シュー」の広告が載っています ── ゴム底、編み上げ、4ドル。「販売店になければ、4ドル送ってくれれば、送料こちら持ちで1足お届けします」。上の画像が、その現物です。
2023年には、元靴職人が「1908年のシアーズのカタログにも似たブーツがあった」と指摘し、L.L.Bean社は「創業者がどこから着想を得たかは推測できない」と答えました。会社の90周年誌を書いたメインの歴史家ウィリアム・デイヴィッド・バリーは、こう書いています ── どれが最初かは言えない。ただ、「ビーンのブーツが、ほかより長く残った」。
つまりビーンは、最初に作った人ではなく、100年生き残る靴と売り方にした人 です。
保証と、家族の会社
会社は1921年、ブーツの部品の補強で2件の特許を取ります。1934年の役員名簿は、社長兼会計がL.L.、副社長が息子カールトンと娘婿ジャック・ゴーマン、書記が息子ウォレン ── そっくり家族です。売上は100万ドルに達し(1937年とする資料と1946年とする資料があります)、第二次大戦中は陸海軍の相談役を務めて軍用のハンティングシューを作り、1944年には帆布の「アイス・キャリア」── のちの ボート・アンド・トート ── が生まれました。
「店の鍵は捨てた」
フリーポートの店は、それ以前から夜中でも扉の呼び鈴で夜番や本人を呼び出せば買い物ができました。1951年、ビーンはいっそ店を24時間・年中無休にして、こう言います ──「店の鍵は捨てた」。
経営は、近代的とは言いがたいものでした。『タイム』誌は1967年、この会社を「効率の専門家にとっての悪夢」と書いています。届いた手紙をシャツの箱にしまい、見込み客4万人の名簿を誤って捨てて12万5千ドルの商売を失ったこともある。正式な面会の申し込みには「私は多かれ少なかれ、留守にしております」と返した。それでも客は増え続けました。メインの作家ジョン・グールドの言葉が残っています ──「握手しに寄っただけで、家に帰るとカタログが郵便受けに届いている」。
1967年 — 校正刷りと、5万通の手紙
1967年1月、94歳のビーンは、100ページになったカタログの校正刷りを確かめています。その1週間ほどのち、2月5日、滞在先のフロリダ州ポンパノビーチで亡くなりました。フリーポートの墓地に葬られ、会社には 5万通のお悔やみのカードと手紙 が届きました。会社は孫のレオン・ゴーマンが継ぎ、いまも続いています。1912年のチラシに書いた「完全な満足の保証」── 無条件の返品保証は、本人の死後も長く続き、2018年に形を変えるまで会社の看板であり続けました。
いま、私たちが手に取る一着の意味
古着屋でビーンブーツやボート・アンド・トート、L.L.Bean の CPO シャツ に出会うとき、その後ろにあるのは、12歳で孤児になった少年と、濡れた靴下と、戻ってきた90足と、「店の鍵は捨てた」と言った商人の一生です。発明したから残ったのではなく、返金して、作り直して、保証し続けたから残った ── ビーンブーツは、そういう種類の名作です。
次回の創業者伝も、リクエストがあればコメント欄へどうぞ。
参考文献
- L.L.Bean「Built to Last: The Story of the Original L.L.Bean Boot」(会社公式)
- New England Historical Society「L.L. Bean, Merchant of the Maine Woods」
- 『In the Maine Woods』1904(Bangor and Aroostook Railroad)p.170 バーカー・ハンティング・シューの広告
- Lori Valigra「The 88-year-old challenging the legend of LL Bean's iconic boot」Bangor Daily News 2023-08-28
- L.L. Bean『My Story: The Autobiography of a Down-East Merchant』(1960。引用は二次資料による)
- Wikipedia「Leon Leonwood Bean」(M.R. Montgomery『In Search of L.L. Bean』1984 ほか)
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